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さて、突然ですが私はX(旧Twitter)ユーザーです。
個人アカウントは鍵つきで自分自身は全然ポストしませんが、
ふらふらとネットの海を漂っていろんな人のポストを眺めるのが結構好きです。
世の中のいろんな人の生活や思想を少しだけ見せてもらって、自分の体験できていない人生に触れられる気がするのでなかなか楽しいんですよね😊
(それがフィクションでも、ノンフィクションだとしても)
あえて言うなら、時間が溶けてしまうことが難点ですかね(笑)
さて、そんな趣味の一環としてXをふらふらしていた時に、気になったポストがこちら。
娘が中学生になって生徒総会を初めて経験した日、帰るなり「とんだ茶番だった。日本人の政治離れは間違いなくここから始まってる」と話した。
変えればいいじゃないと返すと「いやいや面倒すぎるでしょ、労力と見返りが釣り合わない。何かに抗うほど今の生活に困ってない。これが日本の縮図や」と😇
— さ よ え (@gjanwtmmwvj) January 27, 2025
投稿者はXユーザーのさ よ え(@gjanwtmmwvj)さんです。
このポストを見てふと感じた思考を、文章にしてみたいと思います。
なつかしさを感じる「生徒総会」という単語
まず初めに感じたのは、「生徒総会、私も昔参加したなあ」という懐かしさ。
中高生って今から何年前だろう?
20年は行かないけど10年以上前なのは確かで、時の流れを感じるとともに昔のことって結構忘れてしまうなと😓
また、空調がない灼熱or極寒の体育館に全校生徒を集めて総会をしてた時は、
「なんでこんなことしてるんだろう?」と感じてしまった記憶も少しあります。
当時の私にはこれを“茶番”と言い切るほどの強めの感情はなかったし、総会の日は授業がなくて楽だとのほほんとしていたなあ、と振り返ってみるとそんな感じでした。
尊敬を感じる強きコメント
さて、生徒総会という思い出への感傷はこのあたりにしましょう。
このポストの内容をみて私が気になったのはこのあたり。
「間違いなく」や「日本の縮図や」、と言い切れる言葉の強さがすごいなぁ、という点です。
ポストの内容なので、実際はもう少しマイルドな言葉を、はっきりとした言葉に書き換えている可能性もあります。
それを踏まえても、はっきりとした言葉をつかえる人ってすごいなあ、と素直に感じるのです。
私自身は何かを言い切るということがすごく苦手で、断定形の言葉を使うのは基本的に避けてしまいます。
「私はこう思う」とか「〇〇とも考えられる」とか。
「基本的に〇〇である」も100%を示す言葉にはならないからよく使いがちです(笑)
簡潔にわかりやすい言葉をつかえる、また人を惹きつけるようなインパクトのある言葉を選べる能力は今後身に着けていきたいスキルの一つですね。
コミュニケーションについて
こういう会話が始まったとき、私だったらどういう風に返すかなと考えました。
娘さんの「私はこう感じた」という感想に対して、どういう会話をするのがコミュニケーションとしていいんだろう?
「共感(大変だったね)」なのか、投稿者さんのように「こうしたら?」というアドバイスや主観の意見を返すのが良いのか。
結局その時の対話を行う人たちの関係や、その時の気持ちなど、複数の要因が関与してくるので会話に正解なんてないと思います。
でも、自分自身は日々の会話の振り返りをして反省会とかするタイプの人間なので、こういう議論のポストを見るたびに自分なりの正解を探していけるよい機会になりそうだと感じました。
さいごに
とまあ、一つのポストからぱっと思いつくだけでこれだけの考えが出てきて、思考がフラフラとしてしまいます。
元ポストのコメント欄にもいろんな意見や感想が見られました。
こういう話題性のある内容を見たときに、
自分自身はどう思ったか
どこに一番心惹かれたか
そういうことを日常の中で言語化していって、自分の気持ちを明確にしていきたいなと感じる日でした。